hiroomi1603の日記

自分の経験を素直に書こうと努力しています

失礼なのは承知しているんですが

私は実際のところ、土地、というか居住地に何の思い入れもないんですね。
両親もいないせいか、祖父母の代からも里というものがなく育ちました。
周囲はお盆や正月になると、わざわざじいちゃんとばあちゃんの家に行くことを里帰りと呼んで、田舎に帰る。
山や海が近くにあったり、田舎の大きな家だったり、それはいかにも里と呼ぶにふさわしい場所だ。
それに比べ、私の祖母は団地に住んでいた。
里、団地の四階の2K。

だから、住んでいる土地を離れたり、違う街で暮らすことに抵抗がありません。

大変、失礼なのは承知しているんですが、東北の被災地、原発周辺に帰りたいという、ニュースを見るたびに、その思い入れが全くわからないのです。

住めなくなった方は当然、いい迷惑なことです。他人や災害のせいで突然追い出されてしまったわけですから。
しかし、ニュース映像を見る限り、あそこはもう、ひとが幸せに暮らしていける土地ではありません。
荒れ果て、放射線で汚染され、二度と暮らすことはできない。
例え、代々のどんな思い入れがその土地にあろうとです。

私の場合の話をします。
この国は思い入れの大きさを金額に換算しません。
それは、過失ゼロの事故で、追突され廃車以外にとる手段が無くなった、大事に乗っていた旧車も同じです。

大切に部品を探し、維持してきた旧車というヴィンテージカー。
思い入れを換算しなければ、ただの古い車。

補償額に思い入れは換算されません。

大切なものを失うことは、他人が絡むなら、事件も事故も不幸になる。